細木数子が子供に対してやっていることは、「威厳」とか「畏怖」とかのもっともわかりやすい発現なんだろう、と思う。もちろん弊害もあるだろうが、子供に然るべき筋道を与えてやる(やろうとする)そのやり方は意味あるものだろう。少なくともニンテンドーDSを子供に無理やりやらせようとするよりも数倍マシなことだ。
それでも問題なのは、メルクマールとしての細木にただ合点し、自分の子供にまったく同じことをしてしまうことだ。教育とは難しいもので、まず親が自分自身の特性を見極めた上で、どういうやり方が自分にとってもっとも無理のないやり方か考え、それを踏まえつつどう子供にインフルエンスさせられるか、面と向き合ってしかもその場その場で臨機応変に付き合っていかねばならないだろう。でも正直そこまでやれるものではない。各人には生活があるものだ。どうしても子供にばかり構っていられない。ある程度ルーチン化してしまうのは致し方ない。でもそれが生きるということだ。それが各人の生活なのだ。「仕事で子育てに関われないからDSを買い与えてやらなきゃ」なんて阿呆なことを抜かすもんではない。そんな雑多な生活の中でも、子供に与えられるべきものは、貴方と子の関係にはある。でなければ、親子である意味が無い。細木がもっとも貢献したのは、戦後教育という漠然としたくくりに改めて「教育」というものの基本、筋道を「提示した」ところにある。それを独善的、傲慢と見る向きもあろう。だけど、個性だとか自由だとか、漠然とした観念しか与えられず子供を放逐した人々に、これほど基本的で納得のいく方向性を提示できた者がいただろうか。
後は親ひとりひとりにかかっている。人間是日々勉強である。子供を甘く見てはいけない。子供は子供という立派な人間なのだ。ぼくは対峙するたびに冷や汗をかいている。それはぼくに自信がないからだ!orz