だからわからない、意を汲めない、というようなことが単に厚顔無恥の無知の薄ら馬鹿、とは限らないのだ。それはある種純粋さの発露だと思う。誰かが皆に迷惑をかけて、掲示板を荒らしたりしたとして、彼の自我にアクセスを試みれば、そこにわずかな理解の可能性が見て取れる。それを無視できない限り、ぼくたちはただ冷笑を浴びせかけたり、罵倒したり無視したりは簡単には出来ない。勝ち負けから逃れるにはある種の人間にはただならぬ覚悟と忍耐が必要だろうけれど、そうしない限りは新しい視野を見つけることは出来ない。その視野がそこにあるのだ、と本能的にわかっているならなおさらだ。だから、というわけではないけど、こうしてブログというささやかな個人的スペースを構えることが出来たぼくは、(ぼくが公人でないがために)好き勝手馬鹿で一文にもならない文章を書き散らす。今のぼくに出来るいっぱいいっぱいのバランスの保ち方。