煙草や暴力が無い世界が、本当によい世界なのでしょうか?だからといって暴力があって良いというわけではない。ぼくだって性格を捻じ曲げられるぐらい(まあ責任転嫁でしょうな)随分痛い目を見てきた。問題は、抑圧が何処へ向かうかということでしょう。もはや「社会」という言葉を使っても通用しないようなことが、個人の中に渦巻いていると思う。「今はデカダンが個人性の中にあるんじゃないか」と菊地さんも言っていたが、それが社会的な鎖をどんどん切り刻んでいくような気がします。というか、社会が個人性デカダンをどんどん推し進めていくような。煙草はあっても良いと思っている。暴力もそうだけど、良い悪いの問題じゃない。すべては流れ去っていく。そう、煙草の煙のように。(ちなみに半年前に歯医者に行くようになってから、ヤニで汚れると歯医者さんに嫌がられるんじゃないか、そしたら嫌だな、と思って吸わないでいたら吸わなくなってしまいました。つまり、余所へ行ったんですな。抑圧が。)この文章も煙草の煙のように、誰かの脳を汚すだろうか。そうなればいいのに。