ユーアー産む機械

これは思いつきなので、ブログを徘徊している方々には口汚く罵っていただきたいと思うのですが(出来れば的確なコメントでぼくの傲慢を打ち砕いて欲しいのです)、「産む機械」発言は彼ご本人の主観を想像するに、やはり裏返してジャストな感覚だったのではないか、と。「機械化」というプロセスを経由しなければ少子化対策なんてどうにもならないし、あまりに機能化された社会でいったい「機械」の反対概念、たとえば「愛情」だとか「親愛」だとかいう属性が何の役に立つというのか?人々はみんな不幸になっているのに。たとえばそんな閉塞感が、産む「機械」などという「あまりにもジャストな」言葉を社会にばら撒かせてしまったのではないだろうか。その言葉があまりに我々の人生において的を得過ぎているもんだから、「機能の中枢」である国会の人間があんなに異常な、滑稽なまでの抗議行動を起こしているのでは。まるで、自分は機械なんかじゃないとでも言っているかのように。勿論ですって、そりゃそうですって、貴女がたはれっきとした人間、女性じゃないですかあ。そんなこと、忘れるわけないじゃないっすかあ。疲れません?そんな必死になって何を。女性は表面的な倫理の問題を扱うべきではない。