細木さんと江原さん

何を言われるのだろうとおそるおそる頭を下げて近づいてみたら、容赦なく引っ叩かれ尻も叩かれる。「お前が悪いんだ」と自分を省みないその未熟さをまざまざと思い知らせる、それが細木さんだ。江原さんはその逆だ。何を言われるのだろうとおそるおそる頭を下げて近づいてみたら、ほめてほめてやさしく、ありのままの自分を愛し、認めるところからはじめる。こんなカウンセリングならぼくも受けられそうだ。今のぼくに必要なのはありのままの自分を受け止め、愛することだから。細木さんに決定的に痛いところを突かれたら、弱いぼくは立ち上がれないかもしれない。
六星占術やスピリチュアル・カウンセリングなど、本気で信じている人など殆どいやしないのだ。それに底流する哲学に人は惹かれるのだ。要するに好みの問題だ。好みの問題で言うならば、ぼくは江原さんを最初に見たときからまったく信用できなかった(ぺてん師とはこういう奴のことを言うのだと思った)。彼はセレブであり、出来レースである。おそらく、アルバート・アイラーを目の前にして「ああ、貴方のスピリットが…」とはじめる人より、「何コイツ、気持ち悪っ!」と一蹴する人のほうが個人的に信用できるというだけの話なのかもしれない。しかし日本における信仰のあり方について、ここまでぱっくりとわかれるというのも面白いと思う。細木さんが先にテレビを降板するというのは、良識がそうさせたのか、はたまた江原さんの代表する「スピリットのあり方」に対する敗北の表明なのか。ぼくは後者のような気がしないでもない。
あとこれが一番大事なことなのだけれど、前にも言ったが番組の最後に空気公団の曲を復活させた細木さんに一票。まあ制作側が「一見それらしい曲」として選んだのだろうけど、もしかしたら細木さんが直で選んだのではないかと思うと、エンドロールが流れるたびにぐっとくる。涙ぐんでしまうのは、これは良くない癖だ。