倖田來未「羊水腐る発言」

これがもし「35歳」でなく「40歳」だったらどうだっただろう、と思ってしまう。35歳、というのはなかなかにリアルかつシビアな線引きだと思うのだけど。先の発言が失言だったにせよ、この程度の失言がここまで大きな反響を呼び起こしたのは、「35」という数字がもたらす空虚さをかなりリアルに受け止めていた日本国民が多くいたということである。そしてそれは世代的なイデオロギーにどっぷり漬かっている人間とダブってくるのではないか…などと勝手に考えている。
いずれにせよ、この件に関しても、まったく面白くないものを感じ取っている。いったいこの国の人々はどうなってしまったのだろう。他にもっと言うべきことがあるはずだ。小娘タレントの取るに足らない発言の揚げ足を取って日頃の恨み妬みを発散しているなんて、情けないにも程がある。他にもっと言うべきことがあり、それは「われわれ」が「われわれ」自身に言うべきことだと思う。そしてそれを言うに相応しいときがある。それはわれわれが「ひとり」であるときだ。見ないふりして目を逸らして、まわりと歩調をずらさないようにして、言わないでいることを言うべきだ。そしてわれわれは言われるべきだ。われわれが甘んじて受けるべき言葉を、そんなふうに余所へ投げつけていてはいけない。今こそ言うべきだ、明日の電車の中で、お客の前で、隣りのおばさんの行く手をさえぎって。