でディープみたいに圧倒的な強さを持ってる馬から何かが足りない馬まで自在に乗りこなしてしまう武豊が好きではないぼく(でもいざ負けてしまうとあァ、負けちゃった…と思う)にとって、ディープの敗戦はまあ、そういうこともあるさ、っていうか競馬なんてそんなもんだろ、っていうか本当にハーツクライ来たねえ、と妙にさめたもんでしたが、世間ではまんざらでもなかったらしく、競馬をよく知らない主婦も涙ぐむほどの衝撃だったみたいで、スポーツ新聞も軒並み「デ」とか「イ」とかの文字がでっかく載ってるわけです。
とはいえ某新聞では「裏切った」とまで。おいおいそこまで書くかな。馬券は裏切ったかもしれないが、ディープは裏切らなかったでしょうよ。無敗四冠はならなかったけど古馬相手に堂々2着だもの。どれだけ離してどれだけ強い勝ち方をしてくれるんだろう、と期待に胸膨らませて観たあの悪夢の天秋サイレンススズカを観たぼくにとっては、無事に走り終えてくれたことだけで拍手ものです。競馬なんて一頭が勝ちなら他はみんな負け。そんなものなんです。たまたま前に馬がいただけじゃないか。たまたま差し切れなかっただけじゃないか。そりゃ残念だろうよ。でもね、デカデカと一面に「裏切った」なんて書くこと無いだろう。幾ら目立ってナンボの世界としても、あんまりだ。侮辱するにも程がある。
ぼくの中で「強くて、黒くて、いけすかない奴」だったディープインパクトは、「メディアに持ち上げられて、あっけなく用済みにされてしまった一頭の馬」になってしまった。何だ、おれが一番メディア操作されてるんじゃないか??
誰しも彼しもディープインパクトと言い、競馬を知らない主婦までが虚ろに「ディープ…」と呟き、韓国人までが流暢に「ディープ」と呼んだ。ぼくはぼくで快進撃を続けるディープに「ディープ…」と舌打ちし、遠く離れた講義室では皆が口をそろえて「ディープ…!」とその強さと美しさの探求に酔いしれていた。それらはまさに彼が名を冠する「深い影響」だったのだろうか?人びとは彼が圧倒的に勝つその瞬間、彼に己の何を投影したのか?人びとはいったい何に、何を期待したのだろう?
少なくともぼくは、こんなに長くそしてこんなに無意味で無公害な文章を、暇に飽かせて書き散らすほど、彼に何かを投影したりしなかった。ぼく自身にとって、競馬がもっとパーソナルなもので、もっと親密だった(ように感じていた)時期が、昔あったのだ…あった、ような気がする。