作法をわきまえていなければ、何もしていないのと同じだ。
そしてぼくはここ数年間、ひたすらあらゆる作法を避け続けた。
そして回帰的に記述する今、しかし未だに作法を避け続けている。
つまり何ひとつ解決していないし、つまるところ単なる思いつきである。
しかし気分は悪くない。何かを知った気になるというのは、「知ったかぶり」というしょうもない病理のような性格を粘着させたぼくにとって、何よりの薬ではないか?
人は往々にしてそのように生きる。