菊地成孔さんが自身のHPで、「斜め読みは悪くない」と仰っているのが引っかかり、というのも最近(といってもここ数年ですが)本に集中することが殆ど出来なくなってしまい、斜め読みはおろか1時間通して文章に対峙するのもままならないくらいで、このタームについてちょっとばかり頭にとどめていたのです。
で、手塚治虫の「ブッダ」をもう4巻出てるんですが逐一コンビニで買ってまして(リバイバル版?とでもいうのかな、定価650円。)、その4巻めを読んだんですが、すると面白くて、じっくりそれこそ1コマ1コマ読みたいのにも関わらず、勿体ないほど目が先へ先へと行ってしまうんですね。そのとき、情熱が湧き上がって目が勝手に先へ先へと進んでしまうような良い文章に出会うことが大事なのではないか、と思いました。文章そのものを舐めるようにして噛み砕くより先に、熱に浮かされたようにしてダダッと読み通して、そのとき脳裏にぼんやりとイメージを焼き付け、それが再読へ、文章へのそして文章を超えての更なる理解につながるのではないだろうか。その「斜め読みしてしまうほどの情熱」が大事なんかな、と思ったわけです。
ただ菊地さんは「斜め読みを含めた『誤読』」のことも指摘しており、やはり情熱を感じた文章(文章に限らず)については、血肉となるくらいによく咀嚼し、髄を取り出すことが重要なのでしょう。そしてそんな地道な作業が、ある意味情報によって形成されたネット社会をも表裏として生きる現代の我々にとって、ほぼ唯一意味のあることなのではないか、とも感じました。全然的外れなことを言ってたら恥ずかしいのですが、それはぼく自身の思考のアウトプットについて、よく咀嚼がなされていないからに他ならないでしょう。
 
いやしかし、本当ダメね、15分も読んだら眠くて眠くて仕方ないんだわ。集中力の「し」も無いくらいよ、ホント。竹田青嗣なんか読んでたんですけどね、良いこと書いてあるんだけどもう一文一文にピタッと張り付いちゃって、いちいち理解するのが大変なんですね。頭が錆び付いてんだろね、このポンコツが。ただ赤アイラーはわりと早く読んじゃったけど。あ、下方倍音理論は途中飛ばしたよ。