もはや誰が悪い、何が悪いとなどと言っている状況でないことは明らかだろう。悪いのだとすればわれわれ世界中の人びとそれぞれのあらゆる事物にたいしてのあらゆる無理解それ自体である。ぼくにしてみれば本を読まないこと、本を読みだすと5分で眠くなること、偏見持ちであること(宗教・男女差別大いに結構、誤解されると堪らないけれどそういうふうにしか物を言えない)、いつまでも同じ過ちを繰返すこと(たとえば時間と金の両方を同時に溝に投げ棄てている)などなど。よくわかりませんね。「それ」が存在するのを認めていくこと、でもそれによってすら世界が救われることは無いだろう。われわれは世界が救われる種類のものではないこと、について認識をあらたにしていくことでしか救われないのでは。そういう意味でそこから目を背けようとしている(という偏見ね。ぼくにはそう見える、ということに過ぎませんよ。このブログと一緒。)奴らを、ぼくはとっても憎いので偏見を止めない。そういうのが良くないんだってば。