この世界では、一分一秒先に何が起こるかわからない。突然そこの曲がり角から逃走犯の車が飛び出してくるかもしれないし、突然足元が滑って転げ落ちるかもしれない。教育とは、そういう事態に直面するとき/そういう事態を直前に避けるために/またそういう事態は往々にして不可避的であるがために一層、普段の行い・振る舞いを教え込む場としてひとつの意義があると思う。なぜなら、教育者自身が己の人生において、そのような事態に直面し、ある場合には顔面蒼白になったりもしているからだ。そのときに道が分かれているわけだが、いま教育者である者はその一方の道を選び、今に至っているわけである。そこから得た教訓なり悔恨なりを次の世代へと伝えようとするこころみ、それこそが「教育」の根本的な姿勢ではないだろうか。与えられた安寧の中で自己の利益を最大化し、何か不都合があった場合には責任者を追及し、糾弾する。そして被った不利益を回収しようとする。それが貴方がたが己の子供達に見せ付ける教育か。情けなくて涙なんか出るものか。何で大人しく椅子に座ってなくちゃいけないのか。それは危ないのと同時に、他の人におかしな迷惑をかけるのは良くないからだ。そういう基本的なマナーを忘れて、自分達の恥を忘れて私達はまた損害の埋め合わせを請求し続けるのか。メリークリスマス。くそったれ。