Peter Nordahl Trio

最近はもっぱら東京ザヴィヌルバッハの1st「Cool Cluster」を聴いて心地よさに悶えていたのだけど、ふと思い立ち180的に方向を変えて久しぶりにPeter Nordahlを聴いてみた。
The Night We Called It A Day
「The Night We Called It Day」というアルバム。制作が日本の会社であり(Spice Of Life)、ペーター・ノーダールの初来日を記念して作られた盤であり、「酒とバラの日々」や「ムーン・リヴァー」をはじめとしたスタンダードとバラード・ナンバーを主体としている、という点を列挙するにライナーノーツ(菊地成孔200CD本でジャズ回のレヴュアーに参加していた藤本史昭さんだ)でも指摘されている通り、「売れ線狙いジャズ」の匂いがそこはかとなく漂ってくるアルバムである。ぼくはこれを聴き、ヤフーのブログに文章を書いた。「Popcorn」という曲の愛らしさ、バカラックの曲「What the World Needs Now」の素晴らしさなどについて書いたが、当然のことながらそんな言葉では抜け落ちてしまう印象があるわけで。
さっきライナーを読んでいて目に留まった文字、それは「倦怠」。ノーダールのピアノはとてもオーソドックスで、一聴カクテル・ピアノと呼ばれてもおかしくないくらいシンプル、悪く言えば軽薄なのだが、よく聴けばピアノの一音一音の中に違和感を伴った強い表現意志を感じる。軽薄さはブルースを伴い、つまり軽薄と鈍重という分裂的なブルーズを奏でる。オーソドキシーはリラクゼーションを喚起し、同時に倦怠感をももたらすのだった。演奏の中に何か釈然としない(勿論悪い気はしない)違和感、のっぺりとした空隙を感じたのは、「倦怠」という言葉で表現できるだろうと思う。倦怠がもたらす官能は周知のごとくで、ぼくが「叙情的」とか無理矢理文学的な言葉で茶を濁したのは、その点を見落としていたからかもしれない。他にも優・劣を問わずピアノ・トリオのCDは溢れかえっているわけだけれども、それらと一線を画すのは、ノーダールのピアノが自らの旋律=倦怠感について自覚的であり、そこをちゃんとフォーカスしているからではないだろうか。ちなみに1曲ごとにチャーリー・ミンガスの曲が配されている。グッドバイ・ポーク・パイ・ハットではなくウィアード・ナイトメア。実はかなり渋いアルバムなのだ。