特に書きたいことが無く、表現したいことが無く、
自分の「HP」というものは数年にわたって放置状態であり(それはかつて友人も発していた「モラトリアムの終焉」を永続性によって回避する唯一の手段に他ならぬ。
モラトリアムが終焉を迎える時代はもはや終ったのである。というか「モラトリアムの終焉」がある種の普遍性を持つ時代は)、
掲示板にはレスを返さないままで放ってあるメッセージに他人がレスをしており、
「ああそうか。これも俺という人生の一部なのだ」という暗い気持ちをどうにもせずただ放置しているこのHPという有様そのものも俺の人生の一部である。
 
いろんな音楽を聴いた。言うまでもないことだけれど、たぶんぼくが音楽ともっとも重要な関係を築いていた時期というのはとうに過ぎ去ったのだ。
朝起きるたびにそう思わずにはいられない。
以前、スーパーの安売りで買い求めた何枚かのうちのビル・エヴァンス「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」を聴いていたら、
当時の(音楽ともっとも親密な関係を築いていた頃の)気分を思い出したというのだろうか、そういうことにしようと思ったのだろうか(この書き方は気に食わない。芸のひとつもありゃしない)、
久しぶりに更新しようと思った次第で。
何故ならWANTED!でニーナ・シモンが歌う「I Love You Porgy」が素晴らしく、
頭の中で鳴りだした「Waltz For Debby」の「I Loves You, Porgy」が落涙するほど美しかったからだ。
ぼくは「ビル・エヴァンスの音楽がこれほど素晴らしいものだったのだと、ぼくは今になってようやく気づいたのだった」的なことを身に起こしたかったのだけれど、
生憎手元にCDがない。だけど未開封の「サンデイ〜」がある。封を解くとしたら今しか無いだろう。
  
 
いろんな音楽を聴いたので、それらをYoutubeなどと結託してサラサラと書き連ねていきたいと久しぶりに思った。
4時前で外はこんなに明るいのだ。27年生きてきたが、そんなことを今になって気づいたのだ。
そんな瑣末なことと同様、この日記は無意味でしかないのだと、思いを新たにし、自分にはそれを凌駕する力が(もう)無いのだ。と痛感しつつ、
カーネーションの「Edo River」にイレこんだことをまず書きたいな、と思った。
カーネーションとの出会いは図書館で「天国と地獄」を借りてからだから年数的には浅くは無いのだが、付き合いは浅い。
Youtubeを(ご多聞に漏れず?)ダラダラと観ているときに「オートバイ」が聴きたくなって、そっちは見つからなかったが、かわりに「Edo River」が見つかったというわけで。

(ええと、[http://]記法の末尾に「:movie」を付ける(後の自分のために))
  
かっこいい…。出だしのヴォーカル(にシンバルのクラッシュが当たるところ)が何ともかっこいい。ヴォーカルとコーラス?以外はCDの演奏を流しています(一部省略してつなげています。CDを買って確認、「なぜか」ホッと安心。CDよりもこっちのほうが全体的にまとまりがあってチョイ聴きするには好き)。
ハイライトはベタだが2:24の部分。情念がにじみ出てる。最後のほうでヴォーカルの直枝さんが向かって左側のベースのほうを睨んでいるので、ベースと仲悪かったのだろうか?と余計な心配をしてしまいますが、
多分違うんでしょう。急にさしこみが来て顔をしかめたか、あるいは実際にベースを睨んでいたんだけどそれは愛によるものなんだ的な。
  
懐かしくなって「天国と地獄」を聴き直したのだけど、良いね。でも高校卒業したばかりの自分にとってはイマイチ良さがわからなかったんだね。所詮おれはそこまでの人間ということだね。
「オートバイ」の他「ハリケーン」や「おはよう」や「The End Of Summer」などが好きです。やっぱりメロウなほうに惹かれるな。あと「愛のさざなみ」はかっこいいねー。ブルースだね。八代亜紀に歌って欲しい。いい歌だね。2番の歌詞が壮絶だ。
 
「オートバイ」を聴きながら遠くの(たとえば海沿いの)道を走っていて今とは少し違う自分を想像する気持ちの悪い人間です、おれは。
とかそんなことを書くのにこんなに無駄に時間を過ごしたのだから、おれもまだ少しは変わっていくのだろう。「セカンド・サマー・オブ・ラブ」という語感にとりつかれながら、
こんなこと書くのは間違ってる、安っぽい自我の切り売りに身をやつすことから早く抜け出さないことには。と思いながらもウイスキーはおれを解放してくれる。