ちょっと検索すれば出てくるものだ…。「近づく予感」懐かしすぎる!!笑
何かを捨てる、何かとの別離はあるいは人を成熟させる(もしくは老けさせる)と思ったが、歳を取りどんな形であれふたたび出会うことどもは、たとえすすけた色でも豊かな感情を呼び起こしてくれるものだ。でもネットによってすべての情報が並列になった現在を生きる若い人たちはどのような日常を生きているのだろう。凄くドライに軽い感じを受けるのだが、内実は相当タフなのではないだろうか。ただそのタフさを紙一重でかわせるツールが身の回りにゴマンと転がっているだけで。
自分は先の8mmシングルやたとえば「演歌の花道」など、物的な断絶があって上の世代と共有できる感情、価値観があるように思う。勿論、世代ごとのクレバスやギャップはあるが、その裂け目の岸に双方に架けられた橋を見出すことが出来る。これからの若い人たちはどうだろうか。昔のものを懐かしむという意味では「2000年のヒット曲」などはすでに「なつかしい〜」の域に入っていると思われるが、若い人にとってはそれはただ懐かしいだけで、「郷愁」とかいう言葉に表されるようなもの哀しい感情、自分の中から何かが失われた感じ、すなわち喪失感はもはや無いのではないか。
人が生きる以上、過ごしてきた日々や物事は失われるわけであって、そこに喪失感を感じるからこそ人は昔を懐かしむわけだ。ただ、すべての情報が現在に並列されている今、過去と現在とのギャップに痛みを感じるよりも、より現在というものにフォーカスが当てられているのではないだろうか(なぜなら過去は戻ってこない=意味が無いから)。そう、自分が問題にしたいのは痛みの抑圧だ。時間性や空間に対しての感性のあり方が、今までとがらっと変わっていくような気がする。これから生まれてくる子供たちの中には「プラチナ・チルドレン」とか「インディゴ・チルドレン」とかいうのがいて、彼らが人類をより高次なものへと引き上げていくそうだ。それって単に、おれらが歳を取っただけで、次世代の人間とのジェネレーションギャップを悟られないようにカッコよく言いたいだけなんじゃねえの?なんて思ったりもするのだけど、とにかく時代が大きく変わろうとしていることは確かのようである。自分の感性が古びていないことを願いたい。いや、無為に時間にさらされ、時間をしみこませ古びてこそその良さがあらわれるものも世の中にはある。願わくば、そんなものが漬け物石のように底に溜まり、ぼくの心を繋ぎとめてくれますように。
15年かそこら振りに聴いた「テクノdeチョコボ(アナザーミックス)」は何と、自分の作ったMIDI曲に多分に影響を与えていてそれらに混ぜ込んでいたので、懐かしさが分散されていたのであった。途中で生ピアノが入るのもすっかり忘れていたけど、ジャジーなコードも多く入っていて、後に聴くサニーデイ・サービスのようでもあり、懐かしさとともに発見が、フィードバックされる。まるで反響する音のように、行ったり来たりする。夜の色。夜の黒い色は、こんなにたくさんの色彩をもっている。
 
後はあれだな…。グレイプバインの、2000年のSouthBoundツアー、WOWWOWでやった映像。あれをDVDに焼いてる人いたら、1万円で買います。連絡ください。鳥とJIVEが聴きたくてね。ビデオテープはたぶんカビだらけでもう観られん。記憶の中で鳴る音。