カーリング女子の選手をアップで撮るのは悪趣味のような健全なような感じでつい見入ってしまいます

織田信成君が泣き、上村愛子が泣き、本橋マリリンも目黒(解説の小林さんにあやかって)も泣き、スキーの競技でも女性が泣いていた。こんなに選手たちを泣かせる必要があるのか?オリンピックってそんなものだったっけ?(戦争の代替行為ですから、泣いて済むならそら泣きますわな)
背負わせるだけ背負わせといて、必要がなくなったらポイと使い捨て。今や選手たちのためにオリンピックがあるのではない、番組のために選手たちがぼんぼん輩出(排出)され、視聴率のために美麗美句が並べ立てられる、すなわち歴史が生み出され利用される。
だがじきにわれわれの倫理も、そのようなものを通じてしか国民的なコンセンサスを得られないようになってゆくだろう。だからこんなふうな雑な皮肉を言うものではない。私たちの社会は積極的に参入していくものにこそひらかれているのである。それはなぜかというと本人がそう信じているからである。つまり社会的なコンセンサスなんてもう存在しないし、しかし幻想の中にあるともいえる。つまり幻想こそが私たちのコンセンサスなのだ。いろいろな幻想がある。ぼくにとっての今日の幻想は、ミキティは(私たちが勝手に背負わせたものがはからずも醸成した、あるいはこの国にとって)何か特別なものを背負って滑っているような感じを受けた。単にあの憂いのある表情からそう思ったのかもしれないが。やれキムだやれマオだとかしましい中、かつてメディアでさんざん持ち上げられ今は棄てられた感のあるミキティがひっそりと自分の滑りをする。って構図はちょっとイイ話じゃありません?とにかくひどいインタビューで泣かせてしまった選手の顔をアップで撮るなよ!その一歩手前でやめとくっていう態度こそインタビュアーのするべきことなんじゃないの?くだらない質問ばっかしやがって。やりようによってはすごく面白い仕事だと思うのに勿体ないと思うよ。ルーチンルーチンルーチンチン。世界はドーナツ状に回る。
日頃危惧していたことがついに起ってしまった。ネズミがインターネットの線を食いちぎりやがった。ヘッドフォンの延長コードもやられた。オウシット。