ファット・ジョン

Fat Jonが好きだ。Five Deezでノックアウトされて以来、Fat Jonのソロを買い漁った。
一度聴いただけでは、地味なブレイクビーツが延々と続いているなあ…と印象の薄い感想が主に出てくるのだけど、次に聴くと新たな発見があり、そこから深いブレイクビーツの海へと船出していくことになる。
「ジャジー・ヒップホップ」なんつって、たくさんのアーティスト(日本とて例外ではない)が似たような作品を出し続ける中で、Fat Jonという人は深い表現性を携えている稀有な人であるといえると思う。
他の作品は、かっこいいな、渋いな、と思って聴くんだけど、飽きちゃうんだよね。Fat Jonは聴いているうちにじわじわと良さがわかってくる。しみ込んで来る。意識の底から、内側から戸を叩いている感覚がある。それは単に表面的なかっこよさ、渋さに向かっていては絶対に辿り着けない深さだ。というか、たとえば凡百たるジャジー・ヒップホップ達はそこまでのアプローチが「間接的」なんだけど、Fat Jonは「直接的」なのだ。
というのも、やっぱり地味だな〜と思っていた目下の最新作「Repaint Tomorrow」を聴き直したら、うわっ、めちゃくちゃ良い!と思ったからである。
その前の「Afterthought」も、それまでよりもさらに明確に深く徹底した音楽観が表現されていて、素晴らしいと思うのだけど、一番のお気に入りは「Lightweight Heavy」。この研ぎ澄まされた世界観は凄すぎる。そこから珠玉の2曲をセレクト。
Day

Beyond Love

 
たぶん、Fat Jonに関しては書き直すか、またチョイチョイと書くと思う。他にも素晴らしい音源がいっぱいあるし、3582も好きだし、勿論Five Deezも好きだし(3rd買ってあるのにいまだに封切ってねえ!)。特に、「Beyond Love」に関しては処理しきれていない感情があり、この音楽と、この音楽がもたらすもの、あるいはぼく個人についてのノスタルジー。について個人的に解き明かす(解き明かそうと一通り、まっとうにもがいてみる)ことがこのブログの現在ぼく自身における意義のもっとも遠い射程に定められているのだろう、とウイスキーの力を借りて思う。「Lightweight Heavy」の最後の曲はタンバ4の「Consolation」を元ネタにしているのか!と最近知って吃驚。遭遇と邂逅が編み目のように。
  
ぼくのブレイクビーツにおける原点は、「カウボーイ・ビバップ」のテレビ版最終回に流れたシャカゾンビの「空を取り戻した日」にあると明言しておかねばなるまい(オーセンティックなヒップホップファンでないということが詳らかになるが、ノスタルジーの出自という点においても、うんざりするほど明確なのかもしれないが、そこまで一面的な人生を送ってきたつもりはないんです、一応)。

ノスタルジー、とぼくは言ったが、いったいぼくは何処に帰りたいのか?というのが自身のテーマのひとつである。一番恐ろしい答えはベッドの中で腐らせてある。
この曲の世界観は「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」としてぼくの中にある。
こんなことをいちいちいつまでもわめいていなくても生きていけるようになりたい。