TWANGS/GRAPEVINE

暫定。
過去への憧憬と、それを歌うこと自体という二重の痛み。忘れることと消えないことをひっくるめた諦念の中で、これらの曲はまさに"twang"というべき茫漠ととりとめの無い印象を持ちながら、一瞬の間に鮮やかなイメージを投げつける、切りつける、刻み込む。

「おわかれを云わなきゃ」「旅立ちの日 きみの睫毛は 時計の針に」「憶えていたのとどこか違うよ」「どうしたって時は来る」
 
ずっと考えていることだが、いまの田中和将にとって「きみ」という存在を歌うことはどういうことなのだろう。それはやはり一生続くことなのだろうか。歌い手の自覚として「deracine」以後ずっと引き摺り、前作「sing」で顕在化した時間性の重みだが、今作は特に距離感の掴みづらさに戸惑っている。とっかかりが無い上に、睫毛の先のごとく濡れて光り、鋭く尖っているのだ。もうぼくは無邪気にグレイプバインを聴くことは出来ないのかもしれない(以前とはまた違った意味で)。というようなことをライブを観ながら思っていた。つうか、日比谷野音、音悪すぎないか?ライドシンバルがおもちゃみたいな音だったが。