TWANGSについてまとまりなく

「TWANGS」は発売日前に手に入れたものの聴かずして日比谷まで行ったわけですが、今になって勿体無かったなあ、先に聴いておけばもっと楽しめたのに。と思っています。
「TWANGS」がすっかり好きになってしまった。はじめからわかっていたけれど。それに、ライブハウスで聴くよりも野外で聴くほうが気持ちの良いアルバムになっていると思いませんか?「Afterwards」がはじまってぼくはもうどうしようもなく泣いたのだが笑、記憶の中で鳴る「小宇宙(旅立ちの日 きみの睫毛は)」や「Pity on the boulevard」など、とても心地よく響いている。ぬるいビールがうまかった。「スイマー」でまた泣いた笑。
 
ぼくはグレイプバインというバンドのことよりも(西川さんと亀井さんをはじめバンドメンバーが無言でサポートくれるから安心できる)、田中さん個人のことばかり考えている。
作品を重ねるごとに歌われる内容はより悲痛に、救いがたい種類のものになっていく。豚の皿や13/0.9のような重い曲は身を潜めているが、一瞬だけ「退屈の花」の頃を思い出させるようなサウンドの明るさがその悲痛さを裏打ちしているようにぼくには感じられる。セカンド・サマー・オブ・ラヴというか、そうでもないか、すでに終ってしまったものを歌っているようにぼくには思える。終ってもなお、歌うべきものがそこにあると。終っちゃったな、という。あるいは(結局)そこに向かうしかないというか。だがその先はあるのか?という意味で田中さんは「いま現在」の歌を歌っており、それを歌わずにいられないという意味において赤裸々ですらある。音楽があるいはロックが真摯足りうるとすれば、このような態度ではないかと思う。
 
終ってもなお、そこへの郷愁を人は持ち続ける。歳を重ねるということは(その郷愁が何やかやあってやがて無化されていく過程も含めて)そういうことだ。もし歌を歌うことに意味があるとしたら、その思いを丁寧に紡ぎ出していくことで思いそのものを「憂鬱から官能へ」と昇華させていくことだろう、というようなことを、このアルバムは教えてくれる。
どうも重く考えすぎなのかな。どうもグレイプバンは昔っから内省を促すからなあ。その内省も薄っぺらだから恥ずかしい。ちょっと前まではほんとにただのセンチメンタリズムだった。