烏賀陽氏のオリコン訴訟について適当に

(ヒマなので)楽しくYoutubeを観ていたらこんな動画に突き当たって、

で思ったことをつらつらと書いてさ、トラックバックってどうやるのかな…と下のほうのはてなマークをクリックしてヘルプを読もうと思ってクリックしたら別窓開かなくて結局文章全部消えたのでもうどうでも良いやと思って結論だけ書くことにしましたが、
これ、オリコンにしてやられたよね。ということです。
なぜサイゾーや出版元であるインフォバーン社を訴えずに烏賀陽氏を訴えたのかっていうと、「烏賀陽氏の文章部(実際はサイゾーが自らの都合に合わせて改竄したものらしいが)の中に『ジャニーズ』という語が含まれていなかったから」だと思うんですね。ここらへんのことは、この件についていろいろとブログや烏賀陽氏のサイトを見回った後に改めて上に挙げた第22回の動画を観てやっと思い立ったわけなんですが、やはりオリコンはジャニーズとの関係について問われたくないのでしょう。で、もし(オリコンとジャニーズとの関係を取り扱った)サイゾーの記事自体を「事実と異なっており名誉毀損に当たる」と訴えたら、オリコンはジャニーズとは関係無いんですよってことの真実性を法廷で争わなければならなくなる。そうなると仮に直接的な関係はあろうと無かろうと、色々と都合の悪いことが明るみになってしまうでしょう。しかし記事を野放しにするわけにもいかない。そこで烏賀陽氏の部分に着目しこの箇所について、つまり烏賀陽氏本人を訴えることによって「ジャニーズ」という問題を巧妙に迂回しつつも記事を攻撃するということに成功したのではないか。しかももしかしてオリコン側は、「烏賀陽氏はサイゾーに対し、氏の発言の意図が歪められていて、自分のコメントとして記事に掲載されることを断っている」という裏事情を知っていた可能性すらあるんじゃないかと思います。そう勘繰ってしまうくらい、控訴審を終えてぼくが得た印象は、オリコンに都合の良い結果となっています。
だってさ、結局オリコン側の「請求放棄」という形で終ってはいるものの、裁判所が提示した「和解案」の中にはオリコン烏賀陽氏に対し謝罪するという条件は含まれていない。しかも控訴審から加わったサイゾー烏賀陽氏は積極的に協力してくれることを喜んでいたけど、何か臭いなと思った)が烏賀陽氏に謝罪するとともに、オリコンにも謝罪するという条件になっている。ということは、烏賀陽氏は悪くないけどサイゾーが書いた記事が悪い。ということを認めている。請求放棄は自動的に原告の敗訴を意味し、これを受けて烏賀陽氏は「勝訴」した(サイト上にて)と喜んでいるようだが、まさしく肉を斬らせて骨を絶つやり方でもってオリコンはこの問題を都合よく処理した。結局、すべてをシナリオ通りに運んだオリコンの独り勝ち。やはり一枚か二枚上手だったか。という印象。
烏賀陽氏も途中から、というか第一審で敗れてからはとくに、オリコンの内部問題を追及していく線を(無意識にか)諦め、勝つことに専念していった感があるが(動画を観ていて、目的が変わっていってる感は拭えなかった)、そもそもが烏賀陽氏にとってこの訴訟はまったく身に覚えの無いところからはじまっているわけだから、これで勝って良し。として構わないと思う。むしろ「俺はこの件とは全然関係無いじゃねえか。俺は一切関わってねえぞ」と言い張っていれば第一審で勝てたのではないか?途中でオリコンの内部事情を暴こうとしちゃったことが、余計にこの訴訟をややこしくしたんじゃないだろうか。暗に、サイゾーの記事が信憑性に欠けるということも示唆してしまっていて、これもオリコンに仕組まれたんじゃなかろうか、と思ってしまう。烏賀陽氏はスケープゴートとして利用され、見事に使い棄てられた。という印象。企業と個人との戦いの真の恐ろしさを見たかな、という感じ。村上春樹のスピーチを思い出す。我々は巨大で堅牢なる壁の前で立ち尽くす卵である、と。壁とは一個のシステムであり、その前では卵は無力に潰れていく。企業とはシステムの駆動を下支えするシステム自体であって、それと対決しようとする個人は否が応にもシステムに参入していかざるを得ず(システム=壁の内部に一旦は入り込まないといけないから?)、ある場合にはシステムをより強固なものにしていくだろう。
 
…などと、いやあ書きなれないもんだから自分の意見を書くのは疲れますね!適当につらつらと書いてしまったが、この種のことはいわば社会全体を覆っていてさ、だからこそある種の諦念を感じてもしまうわけですよね。ヒットチャートなんてものはそれこそ社会を(ある程度は)反映しているものだから、へえ〜なるほどね。と思いつつもあんまり信用しない(重要視しない)。という自覚が、ある程度は必要だと思う人がある程度いなくちゃ怖いよね。はっきり言って、ヒットチャート的なものに無自覚に踊らされている人はゴマンといるわけで、だからその人が悪いかっつうとそういうわけでもなくて、というか自分自身だっていつどこで社会に踊らされているとも限らない。自分自身への無自覚への自覚を怠らず、しかし肩肘張らずゆるりと生きていきたい。と常日頃思っていますが、それで昼間からゴロゴロ寝ていてはしょうがないんだけどね。セロニアス・モンクでも聴くかー。
モンクがヒットチャートに入ってきたらそりゃ嬉しいよね。おれが大好きなグレイプバインだって10位以内に入って来ないんだから。でもPerfumeは1位取っちゃうわけでしょう。そうすっとエグザ何とかとかコブ何とかとかが好きな人が「良いよね」とか言ってくるんだけど、その度に「いや、昔のほうが良かったんですよね。リニアモーターガールとかファンデーションとかホント良いんですよ。泣いちゃいますよね」と言っているのだが抵抗はむなしい。彼らはすぐに取り込んでしまうのだ。グレイプバインがもしチャートアクションするようになったら、彼らもグレイプバインカッコイイよね。とか言い出すに違いないのだ。しかし幸か不幸か、そのような世の中はやって来ていない。