いくつかの文章化できるくらいには輪郭のある思ったこと

・アニメという媒体を使っての表現において、庵野秀明に対しての宮崎駿の回答(という見立てをするならば)は、物語性のレベルにしても「<感染>させる力(宮台真司の言葉を借りて)」のレベルにしても、まさにオヤジの貫禄を見せつけるかのような圧倒的な安定力を示したといえるだろう。りさがトトロの曲を口ずさむというシーンや、ものを食べるシーン、髪の毛が逆立つシーンなど、ジブリブランドという記号をあからさまに表徴化することによって、ポニョという物語のメタレベルを一段上げているという余裕綽々ぶりは、もはや鼻にもつかないくらい、「もっとも安心して感動できる」アニメ映画だ。しかし、すべてを曝け出して(「自分に何も無いことを証明してしまった」)エヴァを作った庵野に対し、宮崎は「子供向け」という表層をとっかえひっかえしてカムフラージュして、自らのモチーフを延々と迂回しているように思えてならない。その部分に対して、庵野への回答とばかりに自分なりの世界の救済を描いたものの、ポニョが人間になる。というどうにもおさまりが良すぎるような、物語としての駆動性に欠けているような、何ともいえないラストになってしまい、多くは語られないままだ(それが悪いというわけではないが。りさとポニョの母親の「語られない」対話は、ナウシカ7巻でのナウシカとセルムの秘密と重なるような気が今した)。つまり、宮崎駿庵野秀明によるナウシカ完全版が観たいのだ。まあそれだけなんだけど。
・ポニョのせいで大津波が発生し、多くの人が困難を被る(あれ絶対人死んでるよね)わけだが、ポニョは糾弾され磔にされるどころか、むしろ祝福されているのである。そこがこの物語のミソであろう。ポニョの「人間になりたい」という思いを、それ自体を肯定し、祝福してあげること(ここに関する描写が、まさにエヴァへの回答の大きな核となっているだろう)。それに付随するさまざまな困難なんてのは瑣末なことであって、それこそ周囲の人々が対処してあげればよいだけのこと。それが大人ってものだ。進むべき方向を「示唆」してやること。灯台のあかりが暗い海をほのかに照らすように、灯台の光が暗闇の海でぽつんと光るように。面舵いっぱい!
バランタインファイネストのコストパフォーマンスの良さといったら無いぜ。今はカナディアン・クラブっちゅうのを飲んでるんだが、何かイマイチ。バラインタインの燻した深い味わいはたまらん。12年や18年なんてどんな味をしてるんだろ。
スコールズ中田英にダブって見えて仕方ない。パスの視点やファールの仕方まで似ているような気がする。最近ずっとスタメンでフル出場し続けてるけど、もしかして今シーズン限りで引退するつもりなのかな。とかいうサッカーにしろアニメにしろ素人丸出しぶり。魚さんいつも星ありがとう。ホントすみません汗
・「鬼みたいな顔してた。」というのを流行らせたいんだけど。鬼のように○○という形容は友人からきかされて大いにうけたのだが(鬼のように寒い、鬼のように屁をこく、渡る世間は鬼のように鬼はいない)、そうか(トリコロールの、ではない。という自己言及にとりつかれている)、松っちゃんが元ネタだったのかも。
・すべてのタイム感覚を生み出すパーカッション。