ゴスフォード・パーク

ロバート・アルトマンの群像劇にしてはしっかりとした物語構成(と言っても事件の発端からその真相が暴かれるといった流れが物語のおもに後半部の進行を担っているという意味で)で、ノヴェロがピアノ弾き語りをするときに(主人たちに見つからないように扉の陰で見ている)メアリーの、半分陰のついた表情が美しくて、泣ける。本編ではノヴェロが歌っているときに他の人物も喋るので、そちらのテロップが流され歌詞がフォローしきれないのだが、(後から考えれば至極自然だけれど)エンドロールでノヴェロの歌が流れ、その歌詞が全部参照できるっていう細かいところがまたニクく、泣ける。善きものに心奪われるとき、少なくとも私たちの生は祝福で満たされているのだ。と信じたい。そう信じられたはずだ。そんなことを思わせるメアリー(ケリー・マクドナルド)の横顔に、泣きつつ。

映画を好むことによって、自分は内部から変容していきたいと半ば本気で思っている。しかし、ノスタルジーによってしか感動を得られないとしたら、このまま生きている意味なんてあるのだろうか?ふとそんなありきたりな弱気を抱く。人をダメにする物言いばかりが流行る世の中だが、どうしたら自分の心を根拠に、人を支えられる言葉や、物語を紡いだり、生きたりしていけるだろう。