エヴァンゲリオンみたいに、すんごく憂鬱で憂鬱で救いがまったく無いままひどくなっていってどんづまりになって、<世界の終り>によって祝祭的なカタルシスが訪れ悟った気になって現実に帰るも、結局何も変わっていない。というか変わっていないことが重要で、自分を内面から変えていかなくちゃならないんだ。というような物語構造に縛られているのかしら。などと思う。だが仮にそうなら事態は簡単で、そのことへの自覚があるのだから如何様にもなれるはずであって、そもそも「エヴァンゲリオン」とか決まり文句に使っちゃって、自ら構造をつくりあげて自分をそこに縛りつけているのかもしらんね。案外ヒトの意見をきくとほどけたりするから、やっぱり自分自身が縛っているのかも。でヱヴァのほうはミサトさんがシンジの手を握る時点でもう全然別の映画じゃん!つって感動して泣いちゃうので、まだ観てない。エヴァに縛られたい、エヴァを利用して自己規定を成したい。と思っているのか。エヴァくらいしか頼れる物語を持ってないとか。
ところで、何で「ヒト」だったり「シト」だったりしたのか今わかった。「ヒトの意見」というときの「ヒト」は「他人」という意味なんだけど、「人」としてしまうと人間一般に意味が広がってしまうし、かといって「他人」と書くと(ルビを打てば半分解消されるけれど)「たにん」と読む選択肢のほうが大きく映る。つまりエヴァンゲリオンで想定していた「ヒト(これは多く文字よりも台詞のほうだと思います)」は人類全体を示しているにもかかわらず、「自分以外の他人」を暗に強調するねらいがあったのだ。つまり、ヒトの話はよく聞くべきだ、と。そもそもエヴァとは、「自分が嫌いだから、他人を好きになんてなれない」「自分をイメージできれば、ヒトの形に戻れる」といったトートロジーそのものから離脱する物語だからだ。
 
ところで、「スペインの宇宙食」の何ページに「エクソシスト」の記述がある。といったような、目次よりさらに細かい目次をネットで参照できるとありがたいですね。初めから読むあるいはアタリをつけて読むと面白くてそのままじっくり読んでしまうことに対するたんなる時間の短縮という意味において。「スペインの宇宙食」「エクソシスト」と入力すると、「192ページ」と出てくる…と今適当に数字を打ったんで実際192ページには何が書いてあるかな…と開いてみると、「クールホイップ」の文字が。おれこの文字好き!とてもエレガントで、エロチック。(ちなみに155ページに記述ありました)