Pelle Fridell

最近朝といえばcapsuleの「dreamin dreamin」と、Pelle Fridellのアルバム「Go Jaz」を聴いている。
ディスクユニオンの商品紹介でもエレクトロニカで行きたいのかオーセンティックなジャズで行きたいのかハッキリしていない、と書かれてしまうほど、両極端(というか、どっちつかず)なアルバムなんだけど、その中途半端感が良かったりして(自分みたいでか!)、オーセンティックな北欧ジャズにエレクトロニカ(といってもデイヴ・ダグラスよりも控えめって程度だけど)をブレンドしてみた。って感じなので無難にまとまっていて安心して聴けるアルバムではあります。
検索してみるんだけど、なかなか情報が無いんだよねー。デンマークの人だからたぶんクラブなんかの現場で活躍しているのでしょう。北欧ジャズってみんなどれも似たり寄ったりって印象が強いんだけど、当たり前だけどそれぞれに個性があって、聴き分けてみると面白い。モダン・ジャズにおけるブルースみたいに、必ずひとつは北欧の民謡がモチーフの曲が入っているし、そういったフレーズも多用している。そのブレンド具合ってのがひとつ比較の基準になるんじゃないでしょうか。
 
あまりアルバムを出してないようだけど、クラブ演奏なんかのメンバーを見ると結構豪華であり、実力はあるんだろうな。ドラムスはほぼMorten Lundが一貫して叩いている。「Go Jaz」でももちろんモルテンルンド。キレキレでかっこいい。
 
http://www.myspace.com/pellefridell
 

自己主張・自己の「客観的評価」は呪いである

村上春樹のインタビュー集が出たというので買った。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
  
はじめて村上春樹の刊行物をリアルタイムで買い、読んだかもしれない。「1Q84」は初版で買ったけどまだ読んでいない。
一気呵成に読んだ(1Q84アフターダークの箇所は、まだ読んでない(どっちも持ってるのに)ので飛ばした)。いやあ、やっぱり村上春樹は好きだな。村上春樹を通して、ぼくは世界をじっくり眺めることができるように感じる。良くも悪くも、ぼくは村上春樹の世界観にとらわれている。
 
文中の「今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。(中略)これは本当に呪いだと思う」という箇所は、今の自分には心理的に非常な助けとなった。こわばって凝り固まってじゅくじゅくしていた部分にさあっと爽やかな風を通したような、ぱっと目の前がひらけるような手応えを感じた。そういうのって、ぼくは村上春樹の文章からしか殆ど感じない。だから何だと言われるとつらいけれど。つうか今デジャヴきた。
 
1995年のエヴァンゲリオンから村上春樹を経て、2005年の菊地成孔、そのようにぼくは「失われた10年間」を過ごした。
 
なぜ今のこのタイミングでインタビュー集を出したのだろう。おそらく、「1Q84」のいささか熱狂的すぎる「成功」が少なからず影響していると思う。
村上春樹は今もっとも国内外で評価されている作家の一人だろう。そして、過大評価され同時に過小評価されていると思う。ぼくは村上春樹の作品が真に理解されるには、少なくとも20年はかかるんじゃないかと思っていたけど(と偉そうに言うけど)、本人もやっぱり同じようなことを考えているのではないだろうか。過大評価されるにも過小評価されるにもどちらも誤解が入り混じっている。ブームを作り出し、そしてそのブームを貶める。どちらも同じ担い手だ。
その中で「村上春樹」というイメージが生み出され、正しい正しくないにかかわらず、それは一人歩きしてしまう。「ノルウェイの森」のときもそうだったし、今回の「1Q84」しかり。だから、彼自身が何を思い、考えているのかを表明しておきたかったのだと思う。
もっと静かに、淡々と、物語を読み、その物語の中に入り込み、物語を経験していく。そういう「読書的な」プロセスを経てこそ、村上春樹の小説は真に評価・理解されうると思う。そして、現にそうしている人がおそらく日本中にたくさんいる。ぼくは、そういう人たちとどういう形でかはわからないが、何となく共感しあい、あわよくば高め合っていけたらいいと思う。そんな物言いは、ぼくには似つかわしくないのだが、最近はそんな物言いで自分自身のことを考えている。
 
しかしこれでは寸感にすらならんな…。
 

カーネーションの「New Morning」と空気公団の「自転車バイク」

カーネーションに「New Morning」という曲があるんだが、これが実にカッコいい。カーネーションは歌詞がクサいんだけど、何かロマンチックなんだよな。ロ(マンチ)ックだよな。
 

 
再生回数が少ないので、どっかのクソ野郎に消されたらイヤだからリンクすんのやめよう、Youtubeにあるから気になったら検索して観てみてよ。と書こうと思ったら、配信元がカーネーションのプロモなのね。じゃあ大丈夫かな。過去の音源がリマスタリングされて再発すんのね。って去年発売だろ〜。もう「booby」中古で買っちゃっただろ〜。
 
で、ここからが本題なんだけど、この「New Morning」と空気公団の「空気公団作品集」所収のほうの「自転車バイク」は、出だしがまったく一緒である(もちろん似ている、という意味ね)。たぶんキーもまったく一緒だと思う。ピアノの高音打鍵とか、ギターの音の張り出しなんかがとてもそっくりで、でパクリだとか言いたいんじゃなくって、そんな野暮はアンチ菊地成孔どもにシコシコ言わせとりゃいいだけの話で、
ここで「約束しよう」で(確か「融」もそうだった?)鳥羽修がエンジニアをやってたり矢部さんがドラムを叩いてたりと、カーネーションとの絡みがあったことを思い出しバチンとつながったのである。
「約束しよう」の歌詞カードのメンバーのところをぼんやりと眺め、そのちょっと後にカーネーションの「天国と地獄」と出会い、数年後にそのことを思い出したときには「やあ、何かやっぱつながってんだな」と少しばかり感慨を持ったりしたもんだけど、空気公団カーネーションに通底している「何か妙にグルーヴしてる」感。がここにこうしてあらためてつながったことが嬉しく思う。全部個人的にですよ。
  
空気公団の「自転車バイク」はYoutubeに無かったのだが、試みにウェブで検索してくれ。「白(スタジオライブ)」はぼくが空気公団で2番目に聴いた曲だ。とても好きだ。ドラムはHARCO(青木慶則)が叩いている。
ところで突然寒くなりましたね。季節のパラダイム・シフトだ。
 

「え?酷暑?でもっていうかもう9月だし」みたいなノリで、今年の夏はいささか唐突に玄関のドアを開けて去ってしまった。下の画像は、そんな気ままな季節が去り、新たな季節が開いたドアから顔を覗かせているその瞬間を克明に捉えたものである。ま、台風がやって来たんで雲が風に吹かれてたなびいてるだけなんだけど…それも含めて、季節の変わり目は空にその兆しを刻んでゆく。じっと眺めているとそれも風に吹かれるまま少しずつ崩れてゆき、あてもないままうつろいながら夜の暗闇の中に消えてゆくのだった。それはわれわれ人間とて同じことであった。われわれに行くあてなどあるのだろうか?歳を取ればそれなりにあてを見つけるものだ。生きて生き続けるとはそういうことだ。折り合いをつけるのだ。
夏の終りがずっと続けばいいのになあ。